いろんなこと日記

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母の看取りは、

私はしなかった。
その晩の夜、
私「私も一緒の部屋で寝ようか?」
父「大丈夫だろう」
母・・無言(6月5日から言葉を発しなくなっていた)


いつまでものんきな父と私でした。。


夜中に、父が2階にいる義息子(私のダンナ)の部屋に行き、
父「息してないみたいなんだ」


父母の隣の部屋に私は寝ていたのですが、
まったく気が付かず寝ていました(;´Д`)


6月13日午前中に訪問看護(定番)に来てもらった看護師さんに、
「今日明日はまだ意識があるから、合わせたい人には合わせたほうが良い」
と言われ、孫二人に来てもらい、母は話せないながらも、
二人と意思を通わせ、話しかけに応じ、手をぎゅっと握り返していた。
(もう一人は、毎日母の家でテレワークしていて会っていた。
まだ大丈夫でしょう!と言いながら、
お嫁ちゃんの実家に今行ったほうが良い!と決め行ってしまったのです。
1時51分に亡くなりましたのlineを見て、その日の4時ごろ帰宅しました)


看護師さんに言われたとき、彼女と抱き合って二人でウルウル。
今思えば、明日には危ないということだったのだ。。
現に、明日になった夜中の1時ごろには、亡くなっていた。。



点滴は、6月5日から11日までしていた。
6月12日からせず。。(針が入らず)
点滴しなくなって2日目の夜中に亡くなった。


すい臓がんを手術後、
抗がん剤を何クールか行い、
その後は、エクセラーゼとおなかの調子をよくする薬だけ飲んで、
9年間ほぼ普通に生活していた。


去年、2019年2月25日より、再発宣言され、
メンタルめちゃくちゃになりながらも、
どうにか少量の抗がん剤で、
1年間を自宅で、夫婦二人で過ごせた。
梅雨時?ミュージカルを見に行き、
秋?には歌舞伎に行き、
再発前と同じ行動もとれた。


4月1日には、最寄りの病院に行き、
チューブを入れないなら、
自宅療養が良い!と、医師に言われ、
その場で、訪問診療の医師を決めてもらい、
その日に訪問診療の先生に来てもらい、契約。


それから、なんだかんだで、6月4日(意識があり、話せた)まで、
毎日1時間弱合唱曲の練習をして、
夕飯は毎日のようにお刺身かお寿司と、
母の好きな果物を食べて過ごせた。


母は、吐血、下血、非常な痛みを感じることもなく、
痛み止めはカロナールだけで、
鎮静?も行わなかった。 


尊厳死と言えるものではないだろうか?
と、自己満足(私が)している。


(-ω-;)ウーン
しかし、母がいなくなってからの、
私と父ときたら。。。


とにかく49日の法要目指して生き抜こう(* ̄0 ̄)/ オゥッ!!

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